平原憲道, Ph.Dです。出身研究室は東工大大学院の山岸研究室です。会って話せばすぐ分かりますが、出身は大阪です。
私は米国の大学(学部)を卒業後にそのまま現地でビジネス界に進み(本当は4年時からの学生起業家ですが)、7年を経てまた学術界に戻ってきたというちょっと変わった経歴を持っています。
(なぜacademiaに戻ってきたのかについて興味のある方は、下をお読みくださいませ。) |
 |
教育歴
■ 1990年3月:
大阪府立北野高等学校卒業
■ 1995年5月: Northwest
College
(ノースウェスト短期大学~米国ワイオミング州)卒業(学部長賞・学校長賞を授与)
| ・
心理学部にて准学士号(心理学)を取得
| ・
重点領域は人格心理学、臨床心理学、ヨーロッパ史
■ 1997年8月:
University of California, Berkeley
(CAL;
カリフォルニア大学バークレー校)卒業
| ・
心理学部にて学士号(心理学)を取得
| ・
専攻は認知心理学・意思決定科学、実験社会/組織心理学
■ 2007年9月: 東京工業大学大学院社会理工学研究科にて修士課程修了
| ・ 人間行動システム専攻(認知学習科学分野)にて修士号(学術)を取得
■
2011年9月: 同大学院同研究科にて博士課程修了および博士号(学術)取得
| ・ 博士論文タイトルは「がん患者が示す治療リスク認知の楽観性のステージ変化」
| ・
専門研究分野は判断・意思決定科学(JDM)・医療意思決定科学(MDM)
| ・
最近注目のテーマは医療事象も含めたリスク認知およびリスクコミュニケーション
職歴(学術系)
■ 1996年9月-97年8月: Research Assistant(研究補佐員)@ Mellers Decision-Making Lab @ CAL
| ・ B. Mellers博士(当時同大Haas
Biz School教授)と
| D.
Kahneman博士(2002年度ノーベル経済学賞受賞;
Princeton
University教授)の共同運営
|
・ リスク認知と意志決定行動に関する実験の研究員補佐
| ・ Alan
Schwartz.(University of Illinois,
Chicago准教授)の博士論文用研究
| (「Emotional
Cognition: From Brain to
Behaviour」のページに名前があるように、
| 主にAlan関係の実験を補佐しました。)
■ 1997年夏季学期: Eastern Asian Language Dept. @ CAL
| ・
東アジア言語学科にて初等日本語クラス非常勤講師
FAQ: 何故(何の縁で)アカデミアに戻ってきたのか?
よく聞かれる質問なので、簡単に学部卒業~大学院入学までの経緯を書いておきます。
実は、UC Berkeleyでの学部4年時に、留学当初の予定どおり、そのままPh.D過程に進もうと願書(Berkeley、Stanford、Harvard、Michigan、Minnesotaなど)まで取り寄せていたのです。実際、(Barbara)
Mellers Decision Making LabでAlan Schwartzの元でRAをしていたときも、BarbやAlanに「推薦状は任せておけ」と言われていて本人もその気になっていました。手伝っていた意思決定科学の研究も凄く面白かった。しかし、だからこそ、敢えて「一旦academiaから身を置こう」と考えたのです。その結果、願書はゴミ箱に捨てました。
というのも、同時期にアメリカ人の濃い親友Brian Hardy(Berkeleyの院でpublic
policyを専攻していた数学とプログラミングの天才)とBay Area(サンフランシスコ湾周辺)で行っていた起業活動(ITコンサルティングサービス)が面白く、何よりも、「大学で学んだ知識や思考法を実社会で応用して価値を見る」ことに、より強い魅力を感じたからです。自分が「大学でしか通用しない『ただの頭のいい奴』」ではないということを、自ら証明したかったのかも知れません。そういう気持ちになるのでしょうね、ああいう大学で揉まれると。よって、まずは実業の世界を選びました。アメリカの大学で、一度社会に出て活躍してから再度大学院に入る優秀な人たちを多く見てきた目には、「焦ってそのまま院に進まなくても、いつでも戻れる」という思いがありました。
その後は1998年に帰国(結局、アメリカには通算7年間滞在)、大阪に会社(ウェブ戦略・マーケティング戦略のコンサルティング)を設立し、起業家として京阪神と東京エリアで様々なプロジェクトを行い7年が経過しました。毎年1度は帰米し、親友の家に泊まりながらアメリカ側での事業もチェックしました。ベンチャー、中小企業メーカー、税理士や司法書士、経営コンサルタント、開業医…様々な人たちと出会って仕事を行い、学び、とても楽しい年月でした。起業というのは苦労も伴いますし、実際に私も苦労したのでしょう(?)が、元来が極めて楽観的な人間ですから、マイペースに楽しく生きていました。
ただ、帰国後も、心理学、特に認知心理学(さらに絞って意思決定科学)にはずっと興味を持ち続けており、機会があれば帰米時に母校の大学図書館などで論文を大量にコピーして日本に持ち帰り、ぼつぼつとは読んでおりました。同時に、帰国後すぐの京都大学VBL(ベンチャービジネスラボ)での1.5年のフィールドワーク(病院経営と患者マーケティング支援情報システムの開発)を皮切りにacademiaとはついぞ縁が切れず、周囲には必ず研究者がいました。東京に進出してからは厚労省の科研費調査にもずっと継続して参加、医療系の研究者たちとも交流し、その頃にはメインフィールドとなっていた医療関係のプロジェクトでも、私は「妙にacademicなビジネスマン」という立ち位置で動くことが増えていました。そして、そのころ妻が教員をしていた東大先端研(知的財産部門・医療政策人材養成講座)に頻繁に出入りしていたときに、「そろそろacademiaに戻ってみたい」という気持ちを強く感じたのです。
学部卒業から7年が経過していました。
こうして、今までの社会での経験と起業家としての体験から蓄積した「開いた上で収斂した研究興味」を下敷きに、再度本格的にacademiaで研究したいと強く願うようになりました。そこで、意思決定科学に関する高いレベルの研究室を持つ東大、京大、一橋、慶応、早稲田などの、私の興味に該当しそうな修士プログラムの情報を漁り、その結果到達したのが、東工大大学院の社会理工学研究科にある人間行動システム専攻の認知科学学習分野にある、山岸侯彦准教授の教室だったのです。
しかも、ふたを開けてみたら、山岸准教授がUniversity of WashingtonでPh.D過程にいたときの恩師であるMiyamoto博士は、私がBerkeleyのラボで働いていたときに「間接的に」師事していた優しいおばちゃんMellers博士と学会でよく知る仲であったという偶然を知りました。さらに驚くべきことは、私の直接のボスであったSchwartz博士(現在はUniv. of Illinois, Chicagoの准教授で医療意思決定の気鋭の若手研究者)と山岸准教授とは、彼らが共に大学院生だった頃からの長い付き合いで、学会で食事をしながら議論をした仲だという!これには参りました。まさに仏縁です。ついでに言えば、Alanが医療系の意思決定をキャリアにしたことも嬉しい偶然でした。Berkeleyにいたときは我々二人とも医療とは一切無縁だったのですから、面白いものです。
そんなこんなの有難い縁と時宜を得て、私の起業家(フリーランス系)と学術研究者(の卵)という二足の草鞋ライフが始まったのです。研究と事業とのシナジーはとてもよい感じで進み、無事に6年後、Ph.Dを取得することができました。
以上、長々と読んで頂き有難うございました。
上へ戻る
|